地震で思うのは、やはり阪神淡路大震災。

当時、奈良に住んで居ても、あの震災に少なからず影響を受けました。

もちろん被災された方の、比では有りませんが。

私事で恐縮ですが、少し触れさせて頂きます。

あの時点は、新居(既存住宅)購入の手付け完了(建物と契約への影響)、子供の受験(被災による受験者の変化)、仕事内容の変化(技術者から営業の責任者へ)など、詳細は控えますが、それなりの影響はありました。
震災直後は、営業所所長として、営業社員と事あるごとに、神戸方面へ参りました。
奈良南の営業所に、神戸から建て替、全面改築などの依頼が来るのです。
それは、地元では、ややこしい物件まで業者は手が回らない、相手にしてくれない等で、知人を通じて回って来ました。
そんな物件は、必ず小生が、同行し現場を確認致しました。
ほとんど、倒壊寸前、大きく傾いているなど、それでも住んでおられました。(確かあまりに危険な建物は、立ち入り禁止の表示がありましたね)

とにかく、部下の設計担当といろんな諸問題(元々の接道不足、隣家との問題他、普通では無理な状況ばかり)は有るが、何とかしてあげたい一心でがんばりました。
今思えば、良くあの様な状況で、進められたなと思います、みんなも大変がんばってくれました。


もうひとつ、震災のほんの少し前、あの倒壊した、高速道路を通る機会があり、感じたことがありました。

大勢の方が、感じておられたかも解りませんが、ちょうど渋滞でほとんど動か無い時の事でした。

建築技術者として、或いは現場経験の豊富な人間として、平常時で車の通行振動のみなのに、いやな揺れを感じたのです。

もちろん構造物は、多少揺れるのは当然ですが、車の中で静止していて、限度以上の揺れに、これはおかしいのではと直感しました。結構老朽化している、でも絶えず検査をしているはず、良いのだろうと思うようにしました。

残念ですが、その部分は、倒壊しました。

無力な、無関心な自身に悔やみました。

それから、構造物は人間が造る物、完璧ではない。また経年も、構造物を大きく変化させる。

と言った、潜在意識が現在の仕事の根底に、あるのかも解りません。